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2007.11.05(Mon)

原っぱと遊園地

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青木淳氏の「原っぱと遊園地」という著書がある。

ぜひ読んでいただきたいのだが、
そこでいう、原っぱと遊園地について簡単に要約すると
ちょっと雑ではあるが、建築は2種類のジャンルに分類できるのではないかという。
あらかじめそこで行われることがわかっている建築(遊園地) と、そこで行われることでその中身がつくられていく建築(原っぱ)の2種類である。
遊園地はどういう楽しさを子供が得られるか、それが最初に決められ、そこから逆算してつくられている。 それもまた楽しいことには違いないけれど、そこにはかかわり方の自由が極めて少ない。
ジェットコースターには、ジェットコースターとしての遊び方以外が許されていない。
しかし、パリの町のところどころに置かれているメリーゴーランドや観覧車はどうだろうか。

↑パリの中に突然あるメリーゴーランド
たしかに、これらは「遊園地」ではある。
しかし、それらの小さな遊園地は、ディズニーランドのような、たった一つの強制的なイリュージョンを与える感覚創出装置とはまるで違う。
むしろその逆に、それがあることで、それに乗った視点からの町の相もありえることを実感させるような装置なのである。
かたや実在から遠ざけ単一な相に追い込む遊園地があり、もう一方で町が異なる視点による相の綾織りであるという感覚を一層強める遊園地がある。
こうやって見ると建築は大変面白い。
どちらが良くてどちらが悪いとかではない。
ただ、住宅においては、「遊園地」よりも「原っぱ」の方がむいているのではないだろうか。
「いたれりつくせり」を住宅をつくるときの論理にしてしまっては、かなり息苦しい生活になってしまう。
これはどういうことかというと、
エルゴノミックス(人間工学)というのは、人間の体にはこういう椅子の形があっているとか、そういうことをつきとめる学問であるが、
これは、たとえば、自動車の運転席はどうあるべきかというときには確かに力を発揮する。
運転者は運転するというはっきりとした目的のため座っているのだから、こういった明確で固定的な問いには、固定的な最適解を与えることが出来るかもしれない。
しかし住宅の中で行われる生活の中では、不変の目的をもった行為というものがあり得ない。
例えば、キッチンにエルゴノミックスを適用すれば、確かに便利なキッチンができるかもしれないけど、そこで料理を作ることは、せいぜい住む人にロボットになった楽しみを与えるだけのことだ。キッチンは料理をする「ため」の空間ではなく、料理をするということを基本とした時間の過ごし方ができる空間だからである。
普通は「いたせりつくせり」は親切でいいことだと思われている。でも、それが住宅全体を決めていくときの論理になることで確実に失われるのは、「原っぱ」としての自由さなのではないだろうか。


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