Art Japan Nagaya design office 一級建築士事務所 株式会社アートジャパンナガヤ設計
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2007.11.26(Mon)

異国の文化と建築

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先日、異国の地グアム島へ行ってきました。
グアム島は現在アメリカ領ですが、1898年のアメリカとスペインとの間で勃発した米西戦争でアメリカに敗れるまではスペインの植民地でした。
この為、現在のグアム島にはキリスト教文化がもたらされているといいます。
また、現在では住民の約75%が熱心なキリスト教信者だと言われ、各コミュニティ(村)には必ず教会が有り、街のいたるところに点在しています。

教会には村の守護聖人が祭られており、毎年記念のお祭り(フィエスタ)が
行われているそうです。


これを日本に置き換えるならば、少しニュアンスは異なりますが各市町村には必ず役所が存在します。
グアム島の村にとっては、教会はその文化と密接に関わっており必要不可欠な施設(建築)だと言えます。
日本での役所の存在も同様です。
この事は、私たち設計事務所が数多く手掛けるクリニック(医院建築)もまた同様な事の様に思います。
なぜなら、各地域に住まう人々にとってクリニック(医院建築)の存在は、必要不可欠であると思うからです。
今回の旅行を通して、『 人々の生活と建築 』の密接な関係を
改めて感じる事が出来ました。

2007.11.14(Wed)

竣工写真の撮影

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建物が完成すると建築カメラマンにお願いして建物の完成写真(竣工写真)を撮影します。
この写真が当事務所のホームページや作品集にでているものです。
竣工写真の一番大変なのは撮影日のセッティングです。診療所の場合、本来なら建物完成から開院までの間に撮影するのが一番いいのですが準備と完成間際の仕上げ(外構工事など)などなどで人の出入りが激しくなかなか困難です。そして、天候も。せっかくカメラマン、施主に了解を頂き日程を決めても雨だと、『またの日に』となってしまいます。
今回撮影したのは先月開院した診療所で、秋空の快晴の中無事に撮影は開始されました。

外観(日中と夕景)、内観(待合・診察室)を撮影。アングルは自分たちが押す方向を中心に撮影して貰います。
開院して間もないですので待合室は花に埋もれてます。

撮影にはちょっと多すぎるので花瓶を移動したり、掲示物を外したりします。もちろん撮影後には元通りにもどして。
完成写真は近日作品集の中で公開します。

2007.11.07(Wed)

丁張り

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皆さん覚えていますか?あのプレゼンの模型を・・・(2007年7月23日のブログ)
その建物の建築がついにが始まり、今回「丁張り」の立会い確認をしてきました。
丁張り立会いと言っても何かわかりませんね。簡単に説明すると「建物の位置、形状、大きさ及び高さ等の基準になるものの確認」なのです。
この基準は、建物をつくる上で一番重要な基準になり、これを間違えると予定と違う位置、違う形状・・・てことになってしまうのです。

↑これが大事な基準なのです。(木杭と貫で作ってあります。)
そうならない為に、施工会社さんが出した基準を私たち設計事務所が確認するのです。(2重チェックですね。)

↑巻尺による大きさの確認

↑レベルによる高さの確認
因みに今回は、設計通りで問題ありませんでした。
監督さんと私は二人三脚で、一つの目標に向かって奮闘するのです。お施主さんに喜んでもらえるように・・・。


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昨年の設計コンペで当社に設計監理をいただいたゲストハウスの御引渡しが無事終わりました。
外観デザインは、お施主様のお好みに合わせて南欧風に仕上げました。
また、この土地は岐阜の長良川沿いで春には堤防に桜が咲き乱れることから、初めにお施主さんから頂いた「桜が見たい!」というご要望を取り入れ、桜と長良川が2階の大広間から眺められる大きな開口を設けました。
窓から眺められる景色を想像しながら設計をしていましたが、実際に出来上がってからカーテンを開けて見えた景色は、想像以上に圧巻で思わず見とれてしまいました。


もう1つお施主様からこの食器棚を2階の大広間に入れたいというご要望がありましたので、それに合うブルーの絨毯を提案したところ大変気に入っていただきこんな素敵な空間が出来上がりました。

こちらの装飾手摺を施した階段もお施主様の趣向に合うのではないかと思い提案させていただきました。お施主様も私も結構気に入ってます。

春になったら、桜を見にまたここに訪れたいですね。

2007.11.05(Mon)

原っぱと遊園地

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青木淳氏の「原っぱと遊園地」という著書がある。

ぜひ読んでいただきたいのだが、
そこでいう、原っぱと遊園地について簡単に要約すると
ちょっと雑ではあるが、建築は2種類のジャンルに分類できるのではないかという。
あらかじめそこで行われることがわかっている建築(遊園地) と、そこで行われることでその中身がつくられていく建築(原っぱ)の2種類である。
遊園地はどういう楽しさを子供が得られるか、それが最初に決められ、そこから逆算してつくられている。 それもまた楽しいことには違いないけれど、そこにはかかわり方の自由が極めて少ない。
ジェットコースターには、ジェットコースターとしての遊び方以外が許されていない。
しかし、パリの町のところどころに置かれているメリーゴーランドや観覧車はどうだろうか。

↑パリの中に突然あるメリーゴーランド
たしかに、これらは「遊園地」ではある。
しかし、それらの小さな遊園地は、ディズニーランドのような、たった一つの強制的なイリュージョンを与える感覚創出装置とはまるで違う。
むしろその逆に、それがあることで、それに乗った視点からの町の相もありえることを実感させるような装置なのである。
かたや実在から遠ざけ単一な相に追い込む遊園地があり、もう一方で町が異なる視点による相の綾織りであるという感覚を一層強める遊園地がある。
こうやって見ると建築は大変面白い。
どちらが良くてどちらが悪いとかではない。
ただ、住宅においては、「遊園地」よりも「原っぱ」の方がむいているのではないだろうか。
「いたれりつくせり」を住宅をつくるときの論理にしてしまっては、かなり息苦しい生活になってしまう。
これはどういうことかというと、
エルゴノミックス(人間工学)というのは、人間の体にはこういう椅子の形があっているとか、そういうことをつきとめる学問であるが、
これは、たとえば、自動車の運転席はどうあるべきかというときには確かに力を発揮する。
運転者は運転するというはっきりとした目的のため座っているのだから、こういった明確で固定的な問いには、固定的な最適解を与えることが出来るかもしれない。
しかし住宅の中で行われる生活の中では、不変の目的をもった行為というものがあり得ない。
例えば、キッチンにエルゴノミックスを適用すれば、確かに便利なキッチンができるかもしれないけど、そこで料理を作ることは、せいぜい住む人にロボットになった楽しみを与えるだけのことだ。キッチンは料理をする「ため」の空間ではなく、料理をするということを基本とした時間の過ごし方ができる空間だからである。
普通は「いたせりつくせり」は親切でいいことだと思われている。でも、それが住宅全体を決めていくときの論理になることで確実に失われるのは、「原っぱ」としての自由さなのではないだろうか。


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